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越智康貴 越智康貴
越智康貴

花と夢 vol.15

越智 康貴

花と夢 vol.15

越智 康貴

この記事は
・ショートストーリー「鮮やかな人」
・山羊座満月2023/07/03/20:38
・アンケート募集について
の三本立てでお送りします!


「鮮やかな人」

 山も海もある街へと出かけた。

 昼過ぎに駅で待ち合わせて「美味しい鮮魚店があるから寄っていこう」と言ったのは、私の好きな人だった。それを彼は知らないし、気がついてもいないと思う。きっと、これからも知ることはない。
 私たちが向かっているのは、彼の恋人の家だった。彼の恋人は私の友人でもあるけれど、私と彼女はそこまで親しくはない。もうひとり友人が来る予定だったけれど、今朝、仕事で行けなくなった、と連絡があった。私と彼と彼の恋人の三人だけで過ごすことを思うと、私はすこしだけ気が重くなった。

 手土産にしようと、駅前の花屋でインパチェンスの鉢植えを選んだ私に、彼は独特なリズムで「それ、あいつ、好きだと思う」と言った。それ、あいつ、好きだと思う、と私は頭の中で繰り返した。
 鮮魚店では彼が、店主らしき老婦人に勧められるがままに次々と刺身を買った。民家の軒先につくられたのんびりとした店構えとは対照的なロック・ミュージックが、爆音で流れていた。彼は老婦人に「ヴァン・ヘイレン?」と訊いたけれど、即座に老婦人は両手の人差し指でばつ印をつくり、猛禽類のような威厳をもって「ヴァン・ヘイレンじゃない」とキツく言った。あまりの即答に彼はひるんで、答えは教えてもらえなかった。ヴァン・ヘイレンの有名な曲ってなんだろう? と考えながら私は笑った。いい店だな、と思いながら、もたついて釣り銭をしまう彼を見ていた。

 そのまま彼の恋人の家へ行ってもよかったけれど、私は、海に行きたい、と彼に言った。「いいよ、いこっか」と、彼の恋人の家とは反対に位置している海へ向かって歩き出す。浮き足たつ私に彼は「保冷剤つけてもらったけど、不安だから少しだけね」と言った。
 すぐに防波堤に着き、砂浜を学生らしい男女が走り回っているの眺めた。抱えているインパチェンスの微かな香りを、初夏のぬるく重い潮風がさらって流れていく。まだ穏やかな波は、やがて勢いを増して砂浜を舐めつくすだろう。素足で歩いて砂のなめらかさをたしかめるところを想像する。このまま砂浜に降りて波に足を洗われるのも良かったけれど、彼が持つ刺身と保冷剤の入ったビニール袋が汗をかいているのを見て、彼の恋人の家へと向かうことにした。私は、彼と海を見た、という事実だけで満足した。たしかに満足した、と自分に言い聞かせた。

 海を背に、山に向かって緩やかな勾配を歩く。くだらない会話をしながらふたりで汗をかき、くたくたになって登った先で彼の恋人の家に到着したときのほっとした爽快さや、ひろびろとした感覚は素敵だった。たっぷりと骨を折ってこそ味わうことができるよろこびだった。汗をかく彼の表情を盗み見ると、同じことを感じているように思えた。同時に、まもなく私がただの置き物となり、彼と彼女がふたりでいるところを目の当たりにして心が軋む予感が胸をつく。

「久しぶりだね、お邪魔します」と言いながらインパチェンスを渡すと、彼女はとてもよろこんだ。
「すごいおっきい。なんて花?」
「インパチェンスっていって、切花より鉢植えがいいかと思って」
「えー、嬉しい。花言葉なんだろう」
「え、わかんない、調べるね」
 そう言って調べると、花言葉は、鮮やかな人、だった。私は、それ、あいつ、好きだと思う、とふたたび頭の中で繰り返しながら、よろこぶ彼女から自然に目を逸らして堂々とリビングにあがり込んだ。私は、自身と彼女との違いばかりを考えていた。彼女の欠点を探していた。

 大きな窓からは山あいが見えた。私は椅子に座り、彼は立ったままテーブルに刺身をひろげはじめた。ポータブル・スピーカーからはロック・ミュージックが流れていて、彼はキッチンでワインを開けている彼女に向かって大声で「ヴァン・ヘイレン?」と訊いた。私は、ヴァン・ヘイレンしか知らないのか? と思った。キッチンからは「そー、これはあんまりメジャーじゃない曲だけど」と大声で返事が届いた。これがヴァン・ヘイレンか、と私は思った。彼は得意げにした。彼と彼女の、ふたりの時間が見えた。私はひろげられた刺身のパックにかけられたラップをできるだけ夢中になって剥がした。

 食事はたのしいものだった。来れなくなった友人の話や、最近の身の回りの出来事を三人とも次々と話した。知っている曲が流れたので「これ、なんて曲だっけ?」と訊くと、彼女が「Jumpだよ、いちばん売れた曲だよね」と教えてくれた。彼は、自分が答えたかったのに、という顔をした。彼を見ている私を彼女が見ていた。
 お酒を飲むペースも次第に速くなった。次いで話も加速していった。私たちは斜向かいのスピーカーからこの世の終わりのように奇声をあげているヴァン・ヘイレン——ヴォーカルの名前なのだろうか——よりも騒がしくなっていき、誰が何を話しているのかわからないまま涙を流すほど笑いあった。私はそのあいだも自身と彼女との違いを考えることはやめられなかった。それを紛らわすためなのか、すっかり日が暮れはじめても私はしゃべりつづけていた。気の毒だった。皿を片付けはじめた彼女をさりげなくフォローする彼を見ながら、知られたくないことは黙殺し、何もかもが素晴らしいというふりをしてしゃべりつづけていた。
 彼と出掛けることの誘惑に負けてしまった自分を軽蔑しそうにもなった。けれど自分から進んで傷つきにいくことがやめられないのは、その痛みがある種の不安を埋めるからだと気がついていた。痛みをまとっていると、これ以上痛むことがないと錯覚できるから。痛みや恐怖の出どころをつかむために、進んでわびしい孤独を味わおうとする私は、ある意味では気狂いなのかもしれなかった。酔った頭でも自分のしていることがはっきりと見えてしまっているのに、私は一切やめようとはしなかった。窓際に置かれたインパチェンスが夕暮れの光を受けていた。なにが鮮やかな人だ、と悪態をつきたくなる。

 自身と彼女との違いを考えつづけていたら、自分ひとりではわかり得ないことがわかりはじめた気もした。まもなく自身と彼女との違いを考えつくして、これからどうしたいのだろうということに考えがすべっていった。それから、偶然起きたことではなくて、偶然起きなかったことを考えた。例えば私と彼のことを。それから、欲望を押し潰していくことで自分の人生から鋭さが失われていくことの恐怖を考えた。それから、そう考えること自体を恥じる気持ちと、自身の欲求とを、ただ並べておくにまかせることにした。それから、彼の顔を見た。たとえこの衝動がまちがいだったとしても、正しいことをするより、まちがいを犯して後悔するほうを選ぶこともできるのかもしれない。そう思いながら、しばらくここで咲き続けるであろうインパチェンスに彼女ではなく私自身を投影してみると、鮮やかさどころかみすぼらしさやきたならしい気持ちがせり上がってきて、私はそれらも、ただ並べておくにまかせることにした。何もかもをただ並べておくに任せることにして、私はしゃべりつづけた。彼がベランダに出て山を眺めはじめても、彼の背中に向かってしゃべりつづけた。気のない返事が届いても、何もかもが素晴らしいというふりをして。


山羊座満月2023/07/03/20:38

 これを書いている今日、7月3日20時38分頃、山羊座で満月が起こります。
 淡々とつづいているように思える日常のなかに隠れていた”ほんとうのこと”を発見するきっかけにできたらいいなぁ、と思っています。特に組織や経済にまつわること、自分が探求したいと願っている分野に対しての追求が、学びの発展や人とのコミュニケーションを良好にしたり、この逆の流れの(学びの発展や人との良好なコミュニケーションが探求したい分野の追求を生む)可能性があると思っています。

 常に変化しつづける時代精神ですが、特に自由や平等に対して、来年の1月から本格的な変化が加速していく予感がしています。いまは、それまでにこなしておくべき自分自身の課題に向き合う時間なのかな、と思っています。


アンケート募集について

アンケートの募集を開始しました!
 BRUTUS CREATORS HIVEでは、ご応募いただいたアンケートを独自に解釈したものをから、写真(または絵)と文章を組み合わせた"架空の未来日記"を制作します。『花と夢』というタイトルです。
 応募についての詳細は、お手数ですが花と夢vol.12でご確認ください!

 既にご応募いただいた方々、本当にありがとうございます。制作がんばります。今しばらくお待ちください。


早く秋の服が着たい

お読みいただきありがとうございます。
少しずつ更新していきます。

越智

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