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越智康貴 越智康貴
越智康貴

花と夢 vol.27

越智 康貴

花と夢 vol.27

越智 康貴

今回は番外編
・福島第一原発を訪れて
をお送りします!


⁡福島第一原発を訪れて

 eriさんから「福島第一原発の視察に行くんだけど」とメッセージが届く。誘われてもいないのに「え、行きたい」と返信する。
 それから、すぐに同行可能か確認してもらい、東京電力廃炉資料館、福島第一原子力発電所、中間貯蔵施設を巡るツアーに参加することになった。

 夕暮れ前の新幹線で、東京駅から仙台まで行き、特急列車に乗り換えて富岡駅まで行く。
 仙台で新幹線を降りる時、eriさんは乗降口近くの小さな表札を指差し言う——「HITACHI 2011」。

 富岡町は、震災後に全域が警戒区域として立入り禁止になり、2023年現在も一部が帰還困難区域に指定されている。
 20時前に着く。空気はすっかり冷えて澄み、ホームに降り立つと干し草のような香ばしい匂いがする。好みの香りなのに、ぼんやりとした警戒心が胸を掠める。改札には線量計が掲げられている。駅を出ると運良くタクシーが1台だけ停まっていて、すぐに乗り込み宿泊施設に向かう。

 宿泊施設でのチェックイン。受付の老齢男性にeriさんが名前を訊かれて「永井です」と答えると、「永井と?」と僕も名前を訊かれる。唐突な呼び捨てに、僕とeriさんはふたりで顔を伏せて笑う。
「3階で大丈夫ですか?」と渡されたルームキー。僕は312号室で、eriさんは311号室。ふたりで顔を見合わせる。
 新幹線につづき、数字というただの記号の連続が、象徴になってしまった瞬間だった。

「あとはそれぞれでいいよね」と、隣同士の部屋へ入る。
 部屋は少しカビ臭く、窓を開けようとしたけれど、なんとなく躊躇してやめる。
 しばらくしてから、カメラを持って外に出て、星空を撮る。オリオン座、おうし座、木星も見える。車も人もほとんどいない。高い建物はひとつもなく、ほとんどが新しく建てられたものに見える。
 少し歩くと『月の下』という名前の信号に着く。21時まで営業しているコンビニへ行き、缶ビールをひと缶と、ポテトチップスを買い、宿泊施設へ戻って食べた。

 部屋についている小さな風呂を沸かす。カルキ臭い湯船に浸かろうとした時、またうっすらと躊躇してしまう。
 風呂から上がり、すぐに眠りにつく。

 7時頃に目が覚める。支度をしているとeriさんから「コーヒーいる?」とメッセージがきて、もらいにいく。
 待合せ時間前に受付に降り、主催者の桜井さんと初めて顔を合わせる。つつがない挨拶をするeriさんを横目に、僕は桜井さんと微妙な距離をとって人見知りを炸裂させた挨拶をする。

 歩いて廃炉資料館へ行く。桜井さんが富岡町について簡単に説明してくれる。
「震災前は15000人くらい住んでいて、今は2000人弱戻ってきています」
 僕は、その数字が多いのか少ないのかわからない。

 廃炉資料館に着く。西洋風の建物が3つ組み合わさった外観で、童話に出てくるような建物なのが不思議。
 待合室でツアー参加者全員と顔を合わせる。また微妙な距離に佇む。福島第一原発内は、経済産業省の木野さんが案内してくれる。震災後に初めて福島を訪れ、それ以来12年以上にわたって福島や福島第一原発の廃炉に携わっている稀有な人だと紹介される。
 廃炉資料館では、東京電力製作の映像を2本観た。明朝体の重々しい謝罪文から始まり、原発事故の発生原因から現在に至るまでの流れを追うもの。すごくわかりやすくまとまっていて、理解が深まった反面、「なぜ原発が作られることになったんだっけ」という初歩的な疑問が浮かび上がる。

 廃炉資料館でアイフォンやカメラ、そのほかの荷物を預け、金属探知機を抜けてバスに乗り、福島第一原発へ向かう。
 バスでは線量を測るポケットサイズの機械を渡される。バスが走り出すとすぐにガイドが始まり、廃炉資料館の建物はキュリー夫人やアインシュタインなど原子力と密接な人物の生家をモチーフにしていると聞き、なるほど、と思わず笑ってしまう。
 ガイドはそのまま「大きなショッピングモールも建てられ……」と説明を続けていて、僕の隣に座っている男性は僕がショッピングモールの説明について笑っているのだと勘違いして「”大きな”だって」とささやきながら笑いかけてくる。僕は笑いを崩さないようにして適当な相槌を返す。

 福島第一原発に着く。バスで発電所内を回りながら、汚染水の処理タンクや施設そのもののガイドを受ける。
 事故が起きた1号機から4号機の近くまで行く。直線距離は80m程度だという。その距離でも放射線量が20000倍近く違うということや、どういった作業が行われているのか説明を受ける。
 爆発を起こさずに建屋(水色のバックに白い紙吹雪のようなデザイン)が残っている2号機を見たeriさんが「建屋のデザインは何のイメージなんですか?」と訊くと、やや苦笑いしながら「波しぶきです」と教えてくれた。
 僕とeriさんは目を見合わせて「……皮肉」とハモる。
 集合写真を撮り、「写したくないものが写っているので」ともう一度集合写真を撮る。
 殺伐とした感じはなく、一般的に想像される社会科見学の風景そのものだった。

 再びバスに乗り込み、また発電所内を回り、バスを最後に降り、処理水の安全性について実物を前に説明を受け、被ばく線量の検査をしてから施設をあとにする。
 バスも別途検査があるらしく、しばらく待つ。出入り口では昼食時ということもあってか、想像よりも多くの人が出入りしている。
 またバスに乗り、廃炉資料館まで戻ってから荷物を受け取り、次は中間貯蔵施設を回る。
 環境省の福島環境地方環境事務所の服部さんが案内してくれる。
 中間貯蔵施設は、放射性廃棄物などを最終処分場に移動するまで一時的に保管している場所。回ったのは、もともとの地主さんなどと個別に契約をしていき、除染土壌を溜めている場所で、バスで2時間程度のツアーだった。
 バスを降り、除染土壌の上に汚染されていない土を被せて作られた地面の上に立つ。エメラルドグリーンの網がけがしてあるような見た目。見渡す限り続いている。あくまでも中間貯蔵で、福島県外に出すことになっているけれど、行き先に対することや、そもそも出さなくていいのでは? という意見もあるという。
 またバスに乗り、津波の直接的な被害を受けたあとがありありと残っている建物や(いまはほとんど存在していないらしい)、勝手にボコボコと松が生えてしまっている老人養護施設などを窓越しに見学した。

 印象に残ったことはいくつかある。初めは土地を手放すことに反対していた人たちも、”反対することで自分達が復興を妨げいるのではないか”と感じ、最終的には契約をしたという話。
 それから、高台から福島第一原発を眺めていた時、服部さんが1μSv/hを示す線量計を見ながら「一般的な生活では2100程度の被ばく線量で、いまここに1時間いたとして、プラス1されるということですね。それを多いとするか少ないとするかは個人の判断です」というような説明をしてくれたこと。
 服部さんは、まず知ることが大切、という意味合いの話を何度もしていた。

 再び廃炉資料館に戻り、最後に、学びの森という施設へ行って意見交換会に参加する。
 まずは主催の桜井さんがスライドを使って自己紹介をしてくれる。「私人ですが」という前置きと共に、ツアーを組むことになった経緯や、小泉進次郎環境大臣の後ろで視察時に説明をしている説明、花火、それからヒラメを釣るのが好きらしく、何度もヒラメ釣りの写真が出てくる(一般的には30cm以下のものは海へ戻す決まりになっているけれど、福島では大きなものが釣れるので50cm以下のものは海へ戻すという決まりになっているらしい)。
 10名程度残った参加者が、ひとりずつ自己紹介や感想を発表していく。みんな聡明そうな意見だったり、体験に基づいた話を涙ながらに語ったりしていた。
 震災時、九州に移動した自分は”逃げた”のではないかと自責の念にかられ続けている、と話した人がいた。
 僕は、山岸涼子さんの『パエトーン』という作品を読んで原子力発電所に興味を持ったこと、バスから見た景色の中で自生していなかったという松が林になるくらい茂っていた場所があったのが興味深かったことを話した。
  eriさんは「私は反原発の立場なのですが」から始めて、一日の感想を述べた後「見に来てみて、やっぱり原発いらなくないか? と改めて思いました」と言った。
 木野さんは、エネルギーは多角的な視点から見なくてはいけないという話や、当時貧しかった区域が、生きるために原発を誘致した、という旨の話をした。
 桜井さんは、ヒラメの話からは打って変わって、福島の復興に力を入れていて、メディアなどが不安を煽るような発信をすることが許せない時期があった、と話した。
 帰りの新幹線の時間の関係で、eriさんとふたりで途中退出をして、駅に向かう。
 頭のなかでぐるぐると、今日の出来事を反芻する。

 富岡駅のホームに着き、帰りの新幹線を待つ間、ふいに僕が「一般的に年間の被ばく線量が2100で、さっきの場所に1時間いて1足されるとして、さっきの場所に暮らしたとして24時間で24、さらに1年間分365日掛けるってこと? 合ってる? それって多いの? 少ないの?」と訊くと、eriさんは笑いながら一緒に首をかしげた。


お読みいただきありがとうございます。
少しずつ更新します。

越智

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