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越智康貴 越智康貴
越智康貴

花と夢 vol.5

越智 康貴

花と夢 vol.5

越智 康貴

この記事は
1.日記
2.冥王星について
3.黒革の手帖より
の3本立てでお送りします。後半は占いコンシャスなお話です。

 このBRUTUS CREATORS HIVEでは、応募いただいたアンケートを独自に解釈したものを、写真と文章に展開した作品を制作しようと思っています(詳しくは 花と夢 vol.1 にて!)。募集は3月開始予定。


 1.日記

 立春です。今日からまた新しい一年が始まります。節分までに済ませておきたかったのに出来ていなかった掃除を済ませ、方位除けをしたり、お札を貼ったりという午前でした。これからお参りへ。

 昨日は、最も親しい友人のeriさんとコーヒーブレイク。開口一番「国が悪い」と社会保険料などなどの高額さを嘆いたり、あれが嫌だ、これが辛い、と文句のオンパレードを繰り広げました。そんな僕に対し、うんうんと話を聞いてくれた挙句「どうしたらつらくなくなるかなぁ」とeriさん。経営と制作の比重を変えてみてはどうかと言ってくれたり、その他にも自分が日頃感じていることとリンクしているアドバイスをくれて、問題自体は解決していなくとも心に平穏が戻りました。

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 テネシー・ウィリアムズの『呪い』という短編集を読んでいます(オカルト本ではなく、文学作品です)。
 なんとも絶望に満ちた物語ばかりで、正直、読んでいると段々と気落ちしていくような本ですが、たまにはそういうものも……。
 生きていて、不測の事態が起きたとしても、どこかで明るくなる予感を持ってしまいます。けれど、そんな希望的観測とは全く別で、ただの動物として、ただの命を閉じることもあるんじゃないかな、と思う気持ちがハッキリと浮かんできます。
 コロナ以降の環境からか、特に日本の過去、自分も体験していない時代のそれを手繰ってみることが増えました。そして近い未来への恐れや不安が寄り添いながらも、実際に目の当たりにしないと(もしかしたら目の前に現れても)わからない"大きなもの"が来る、という空想が止まずにいます。


2.冥王星について

 3月21日には240年ぶり(!)に、冥王星が一時的に水瓶座へ移動します(6月11日まで)。これにまつわる出来事が、2024年末以降からの長期的なテーマの前触れ、という見方もあるみたいです。
 冥王星が本格的に水瓶座入りするのは、2024年末です。
 冥王星は「死と再生」の象徴。占星術で使う惑星の中で、地球から一番遠くにあって、黄道十二宮(十二星座)を一周する周期も約248.5年というロングスパン。個人だけではなく社会全体に強く刷新を促し、深いところまで潜っていくイメージがあります。"人の助けを借りずに問題を解決しなければいけない領域"を表すともいわれています。
 いま冥王星が位置しているのは山羊座(経済、実務、伝統、保守という象徴)。冥王星が山羊座入りした2008年には、リーマンショックが起こりました──もちろんこれは"だから起きた"と言いたいわけではありません。ある意味での経済や信用の刷新が"偶然重なった"だけです。
 占星術自体、ひとつの天体の影響だけを見るわけではなくて、空模様の総合的な影響を見るものですが、個人的に、この冥王星の移動には思い入れがあります(占星術に興味を持ったきっかけも冥王星と関係があります。改めて書こうと思います)。
 花と夢 vol.1でも書いたように、天体は役者、星座は役柄、だと思っています。今回は、死と再生、刷新という役者(冥王星)が、個人、革新、論理、知性、利他主義、技術という役柄(水瓶座)を演じます。
 平等とは一体なんなのか? ということが強烈なかたちで目の前に現れるんじゃないかな、と感じています。もし、この期間(3/21-6/11)にヴィヴィッドな切替えが目の前に現れたら、注意して、その変化に対応できるようにアップデートしたいな、と僕自身は思っています。もちろん人によって影響の大小があると思いますが(出生時の天体の配置と、現在((過去、未来もですが))の天体の配置を重ねて、影響を考えることもします)、冥王星のような長い時間をかけて移動し、熱をこめ、社会を覆していく天体は、とても印象的です。

死と再生、刷新、深淵、激しさなどを象徴する

3.黒革の手帖より

 Netflixで、米倉涼子主演の『黒革の手帖』を観ていました。エピソード4だったと思います。美容師さんが、趣味で占いをやっていて、主人公の原口元子(米倉涼子)は、たびたび自分の運勢を占ってもらいます。一番最初は「わたし占いって信じないのよね」と言っており、牡羊座か? と思いましたが……。
 転機ばかりのこのドラマ、その都度、原口は美容師さんに占ってもらうのですが、途中で恐ろしい結果が出てしまうことも。不安になると占いにでもすがりたくなる気持ち、わかる。と思いながら観ていました。
 そこで美容師(占い師)が言います。
「言い訳じゃないですけど、運勢は自分で変えられると思います」
 原口元子(米倉涼子)が言います。
「私もそう思う。運命は変えられないけど」
 僕(越智康貴)が思います。
「ほんまかなぁ」
 美容師のアシスタントが言います。
「運命と運勢って、何が違うんですかぁ?」

 ホロスコープ(出生時の空模様を写し取ったもの)は、人の性格における潜在的な発展性を、象徴という形で示唆している、と捉えています。ただ”決められた事実”というよりは、エネルギーの向かう方向性だと思っています。それから、そのホロスコープ上を通過していく天体(上記の、過去、現在、未来のもの)は、ある分野で"目を開かせる"過程を示しているんじゃないかな、と思っています。

 本屋さんによく行きます。そこで占いコーナーに立ち寄るのですが、全体的に「しあわせになるために」とか「これでツキがまわってくる」とか、そういう本が多いなぁ、と思います。
 個人的な考えなのですが、運勢も運命も、ちょっとやそっとの個人的な努力で変えられないんじゃないかな、と思っています。というか、変えられたらすごいな? と若干嫌味っぽく捉えてしまう。
 先の、潜在的な発展性というもの。自由意志における取捨選択とは別物のようで、重なっているものなんじゃないかと思います。けれど諦めというのとも少し違い、やっぱり思い出すのは「ホロスコープは人生についての隠喩」と書いたミラン・クンデラの『不滅』の一文。
 "あなたの人生は、いつも同じ資材、同じ煉瓦、同じ問題で建造されつづけるだろうし、あなたが最初のうち「新しい人生」だと思うかもしれないものも、まもなく既存の体験の単なる変奏と見えるようになるだろう。"
 自分の持っている資材を見つめ、適切なヴォリュームで、最良の建物を造るということが、個人的には望ましく思えます。花と夢 vol.2 に書きましたが、自分のことで言えば「手に入れたものを失いたくないという不安」が常にあり、自覚した上で「手放すことで新しい安心を手にする」という考えを受け入れられるようになれば、より良くなるという象徴が出ています。けれど理解してもすぐに実行できるわけではないのものなので「そんなことわかったとて!」と思ってしまうこともしばしば……。
 そこはかとない原因不明の恐れや、生きている中であまりにも繰り返される"似た事象"に立ち向かうときなんかに、役に立つひとつの手札──自分にとっての占いは、運命や運勢を変えたい、という願いを叶えるものではなくて、自分をかたちづくるものを観察してみよう、という試みでしかありません。
 けれどこれは、個人が背負う重苦しい責任を、少しでも軽くしたいという軽率な願いなのかもしれません。

愛と闘いの果て/ギュスターヴ・ドレ画

eriさん撮影の近影(夏だ)


お読みいただきありがとうございます。少しずつ更新していきます。

越智

引用:ミラン・クンデラ、菅野 昭正 「不滅」(集英社、1992年)


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